死刑と戦争と

昨年(※2006年)12月30日,イラクのフセイン元大統領の死刑が執行されました。判決確定から4日後の処刑という異常な早さでした。

フセイン氏が絞首刑にかけられる衝撃的な映像が,今もインターネット上に流れ,誰でも見ることができます。

 

フセイン氏に対する評価は,ここでは措くとします。

しかし,生きた人が処刑される映像を実際に見れば,「死刑執行」という現実の出来事に対して,少なからぬ残虐性を感じるはずです。

 

フセイン氏の処刑ほど知られていませんが,そのわずか5日前の昨年(※2006年)12月25日には,日本でも4名の死刑確定者の絞首刑が執行されています。

日本の場合,その執行の様子が公開されることはありませんが,そこにはフセイン氏に対する死刑執行を上回る凄惨な現実があったということを知っておいてください。

 

今回日本で死刑が執行された4名の中には,77歳と75歳の老人が含まれています。

いずれも再審請求準備中の執行でした。

うち一人は全く歩くことができない状態で,車いすで介護を受けて生活していました。誰かが彼を無理矢理絞首台まで引きずっていかなければ,死刑の執行はできないのです。

 

国家が正義の名の下に行う殺人には,「死刑」と「戦争」という二つの方法があります。

その残酷な現場をできる限り見せないこと,詳細な情報を隠すことによって,国民の無関心又は扇情的な支持が獲得されていく点で,両者はよく似ています。はたして,私たちはそれでいいのでしょうか?

 

私は,死刑にも戦争にも,絶対に反対します。

 

(『事務所ニュース 2007年2月号』より)