インドのある貧しい村で,もっぱら日本人の献金によって運営されている,とても小さな学校を訪れました。
カーストに関係なく,みんな一緒に授業をしているのだそうです。
わーっと駆け寄ってきてくれた子どもたちの笑顔が忘れられません。
しかし,この学校にすら通うことができない子どもたちもいます。
インドにおける最大の困難であり,国際的人権課題でもあるカースト制度(身分制度)。
インド憲法では既に全面廃止されたはずのカーストですが,その影が薄れているのは一部の都市だけです。
インド社会とカーストは,今も不可分一体です。
貧民街で子どもたちが必死に生きようとしている光景を見ると,言いようのない痛みが胸を走ります。
カーストは産まれた瞬間に決まり,死ぬまで変わることはありません。
個人の努力で這い上がることはできません。
それどころか,今もインドには,カーストの最底辺にすら組み込まれず,人として認められないまま人生を終える人々(ダリット;不可触賤民と訳される)が,日本の全人口よりも多く存在するのです。
私には,彼らと他のインド人を見分けることはできません。
もちろん,そのほかのカースト間の違いもほとんどわかりません。
しかし,現地の人には分かるようです。
そもそもカーストは,輪廻転生観を前提としたヒンドゥー教の制度(ヴァルナ,ジャーティ)が基礎になっています。
他方で,「カースト」はポルトガル語起源であり,現在のような固定的身分制度としてのカーストは,植民地支配の中で比較的近年に創出,定着されたものだと考えられます。
ヒンドゥー教の階級制度の成立自体,アーリア人支配等の影響を受けた歴史的産物でもあります。
これは,最近になって,カーストや喜捨などの習慣が西洋的な「チップ」の制度としてインドに定着していったのと同じ構造だろうと,私は考えています。
宗教観の強固な壁は別として,支配層によって人為的に創出された社会システムであれば,人の英知と良心によって変えられるはずです。
そのために最も大切なことは,子どもたちへの教育の充実です。
私は日本で,弁護士会の委員会活動の一環として法教育に力を入れており,毎年,小学校・中学校・高校などで人権をテーマとした授業や講演会を行っています。
これからも,私にできる範囲で,人が人として生きることの意味や価値を子どもたちと一緒に考えていきたいと思います。
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