川崎の少年事件等で,また加害者少年の実名報道や写真掲載が話題になっています。
念のため確認しておきますが,実名報道は少年法違反,つまり違法行為です。
ただし,違反に対する罰則はありません。
(記事等の掲載の禁止)
第61条 家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については,氏名,年齢,職業,住居,容ぼう等によりその者が当該事件の本人であること推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。
法律論としては,少年法の趣旨だとか,表現の自由や児童の権利に関する条約との関係など,様々な角度から論じられている難しい問題です。
けれども,これって,もっとシンプルな問題だろうと思うんです。
法律を横に置いて考えると,現在の素朴な市民感情における多数派は,実名報道に賛成でしょう。
そりゃそうです。だって,法律で禁止されていて誰も知ることができないはずの犯人の顔写真や名前やプライバシーが,ある特定の雑誌やネット情報でだけ見られると分かったら,誰だって見たくなりますよ。
私だって,ついリンクをクリッ……。
いや,それはともかく,要するにその感情は,どんなに良く言ってもただの「好奇心」。悪く(率直に)言えば,出歯亀的な「覗き見根性」か,せいぜい野次馬根性なんです。
要はこれ,ポルノと同じなんです。隠されているはずのものを見られる快感なんです。
すごく汚らしいけど,人としてやむを得ない感情でもある。
それだけのことだし,だからこそ,嫌でも否定しきれません。
これに対して,正義感を振りかざして実名報道を積極的に肯定しようとする人たちが,結構たくさんいます。
しかし,その理屈はどれも空々しくて,はっきり言って気味が悪い。
たとえば,
「加害者が,実名報道されている被害者よりも守られるのはおかしい」
とか,
「加害者は,(少年でも大人でも)名前をさらされて罰を受けるべき」
とか……。
一見すると共感を呼びそうな話だけど,実はまったく筋が通っていません。
それに気付かない人が多いということも,すごく怖い。
事件が起こるたびに,被害者や家族の気持ちなんて一切考えずに,当然のように被害者の実名や写真を無許可で流しまくり,生い立ちやプライバシーを根掘り葉掘りあばいて楽しんでいるのは,一体誰でしょうか?
事件の加害者じゃなくて,マスコミじゃありませんか。
そんな「報道」を喜んで見ているのは,一体誰でしょうか?
事件の加害者じゃなくて,私たちじゃありませんか。
自分たちが先に被害者を散々苦しめておいて,だから加害者も苦しめと,勝手なことを言っているだけじゃないでしょうか。
加害者の顔を見て,実名を知って,そのうえで謝罪を求めたり,損害賠償請求をしたりすること。それは,間違いなく被害者の権利です。
しかし,私たち(第三者)の権利ではありません。
私たちにも,社会防衛のために事件や加害者を自由に批判する権利があります。
しかし,直接被害を受けたわけでもないのに謝罪を求めたり,損害賠償を請求したり,ましてや加害者を私的に処罰する権利などありません。
実名も顔写真も,自分とは関係ないはずなんです。
多くの人が,無関係の自分に加害者を罰する権利があると思い込むようになったら,きっと恐ろしい社会になるでしょう。
知りたい,見たいという確かな欲望がある。その欲望は金になる。営利企業であるマスコミが人々の欲望に応えれば,視聴率を集め,部数が伸び,広告費が入る。そこには経済的合理性がある。
下衆(ゲス)でもいいから見たいもんは見たい。金になるからやる。
それならすごく正直で,もしかしたら,それを正しいと言えてしまうのがこの資本主義社会なのかもしれない。まさに「鬼畜の所行」。
しかし,その欲望に忠実に従った結果の実名報道は,決して,
被害者のためではないし,
加害者に対して許された社会的制裁ではないし,
本当は表現の自由でも,知る権利でも,報道の使命でもない。
そういう言い方で欲望を正当化されると,自分を差し置いて「下衆の極み」とかって叫びたくなります。ハマカーンみたく。
資本主義社会は,欲望で発展し,欲望で暴走します。
だから,欲望を抑えるためのルール(法と道徳)を必要とするのです。
たとえば,無修正のポルノを法規制するように。
でも,無修正ポルノは誰も傷つけないけど,実名報道は必ず誰かを傷つけますよ。
だとしたら,規制されるべきなのは,どっちでしょうね。
私は,どちらもやっぱり見たいと思ってしまうけど,大人なので自制します。
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