有名元プロ野球選手が覚せい剤事件で逮捕されました。
有名人だと,薬物事件でも不倫・浮気でも解散騒動でも,報道がすぐに大きく,しつこくなりますね。
その本人たちにとっては,自ら人前に出る仕事を選んでいる以上,いわゆる有名税だったり,むしろ好都合だったりするのかもしれません。
けれども,毎日マスコミを通じてそれを見せられる側としては,「またか」と思ってあきれるしかありません。
日本でも世界でも,日々新たな重大問題が起こっているのに,どうして芸能人や有名人のゴシップばかりをトップニュースで追いかけ続けるのでしょうか。
……などというのはいつもの愚痴でしかなくて,さすがに「覚せい剤」は小さな事件じゃないよと,怒られるかもしれません。
たしかに,覚せい剤が極めて有害な違法薬物であることは否定できません。
一体,誰がその違法収入を得て何に使っているのか,という販売組織の問題も大きいです。
できることなら撲滅されてほしいと,心から思います。
ただ,ですよ。
「頭ではダメだと思っていても,目の前の快楽に負けてしまって,どうしてもやめられない」という状態は,人間なら誰しも,日常的に経験していることです。
実は,人間って,苦痛には想像以上に耐えられるのですが,脳の中に生じる快楽には,ほとんど耐えられないんです。
それが人間の生物としての本能であり,存在の欲求そのものだから。
たとえば,肺を悪くして苦しいはずなのに,咳き込みながらもタバコをやめられない。
検診の結果が悪かったうえに小遣いも減らされたのに,飲んで帰らずにはいられない。
絶対に太りたくないのに,ケーキを食べてしまう。
ホントは貯金をしたいのに,買い物や遊びで散在してしまう。
……。
脳の中で起こっていることは,みんな覚せい剤の常用と同じなんです。
もちろん,覚せい剤には薬理作用としての依存性がありますから,なおさらやめるのが難しくなります。
ですが,本質はそこじゃないんです。
よく,仕事や勉強が嫌で遊んでしまう人に対して,「苦しいことから逃げるな」と言いますが,厳密には間違いでしょう。
あれは,「苦しみから逃げている」のではなく,目の前の「楽から逃げられない」だけです。その結果,後々自分が苦しむことになるのを,頭では分かっているのです。でも,やめられない。
理屈で言えば,「我慢の先にある喜び」を徹底的に理解することで,耐えられるはずです。
タバコをやめられた際の開放感とか,ダイエットできたときの満足感とか,勉強の成果としての志望校合格,仕事で得られる成功や報酬……。覚せい剤なら,やめられること自体が既に多大な報酬とも言えるでしょう。
けれども,現実に目の前にある快楽を避けることは,人間にとって,そう簡単じゃありません。
残念ながらそれに失敗してしまった人に対して,鬼の首を取ったかように一方的に責め立てるのは,どうかと思うのです。
そもそも,私たちの世界において許されるべきこととそうでないことの区別について,常識を疑って,もう一度よく考えてみてはどうでしょうか。
覚せい剤を自分の部屋で自分で使っても,本当にそれだけなら,直接的には誰にも迷惑をかけない。少なくとも,私もあなたも他の誰も迷惑を受けていない。
けれども,屋内でも屋外でも,タバコを吸わない人がいる場所でタバコを吸えば,必ず迷惑をかけます。
最低でも副流煙による暴行罪(刑法208条,2年以下の懲役刑等)が成立するはずだし,理屈上は傷害罪(刑法204条,10年以下の懲役刑等)も成立し得る行為です。(ちなみに,覚せい剤の自己使用罪は10年以下の懲役刑です。)
人前での喫煙が現実に処罰されていないのは,そういう迷惑行為をする人があまりにも多すぎて,事実上取り締まりができないからにすぎません(刑法的には,せいぜい違法性阻却事由の有無が問題になる程度と考えられます)。
もし,捜査機関が一念発起して,喫煙の副流煙による暴行罪で誰かを起訴したら,今の日本の法律の下で無罪判決を書ける裁判官は,まずいないでしょう。
極めて微妙な社会常識という幻想の下で,なぜか許されてしまっている行為なのです。
あるいはまた,不倫は今の日本では反社会的行為として強く批判されますが,一夫多妻や多夫多妻の国では,「不倫」という言葉自体が,憲法で認められた人間の基本的人権・自由の制限につながる批判とみなされるかもしれない。
日本での覚せい剤の劇薬指定は昭和24年。取締法ができたのは昭和26年。
それまで覚せい剤は,「ヒロポン」などの商品名で,強壮剤として普通に売られていました。今で言う栄養ドリンク剤のよく効くやつって感じです。
ヒロポンは,あの「サザエさん」の原作にも出てきてますよ。
社会の常識や倫理なんて,時と場所でまったく変わるものです。
ま,だからと言って,覚せい剤に手を出すのが大馬鹿者であることには,何の変わりもありませんが。
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