埼玉弁護士会の犯罪被害者支援委員会委員として参加した「第19回 犯罪被害者支援全国経験交流集会」の裏報告です。
前回は金沢でしたが,今回は秋田まで行ってきました。
交流会の真面目なご報告は事務所の公式ブログでしておりますので,大人の法律夜話では,もう少し人間くさいお話をいたします。
ご期待に添えますかどうか……。
それでは,こちらをご覧ください。
はてさて,これはいったい何でしょうか?
この建物は,奈良時代(8世紀中頃)のものが再現されています。
天平宝字4年(西暦760年)ごろ,「秋田城」と呼ばれていた官庁地区の一画です。古代の風を感じたくて,秋田市街からバスで少しだけ足を伸ばしてきました。
当時の秋田城は,出羽国の国府が置かれた政治拠点であり,北海道にまで及ぶ蝦夷の人々を従えた軍事拠点であるとともに,大陸の渤海国(中国の東北部にあった国)から日本への使者を迎える交易と外交の一大拠点でもありました。
再築されている奈良時代の城門構えも,こんな感じで,なかなかのものです。
最初の建物に戻りますね。
この建物を使ったのは,現地の日本人や蝦夷ではなく,もっぱら渤海国などから受け入れた外交使節たちであったと想像されています。
質素ですが,しっかりとした造りで,中は3つの個室に分かれています。
そろそろ,お気づきでしょうか?
個室内には,二本の板を渡した大きな穴と水瓶,柄杓,そして何本かの木の棒が備えられています。
ことが済みますと,柄杓で水を流し,備え付けの木の棒で後始末します。
木の棒は「籌木」(ちゅうぎ,ちゅうぼく)と言われ,使い捨てではありません。とってもエコなのです。
別名,クソベラ……。
えー,すごい名前が出てきまして,これ以上の深入りはもう避けますが,何でも「ほじくって使う」らしいですが(まったく避けてないですが),要するに個室水洗トイレです。
そう思って建物を見ると,3つの個室から外に向かって水が流れる構造になっているのが分かると思います。
傾斜の内部では木製の配管が埋め込みでつながっており,最後には受水槽の上澄みだけが自然に沼に流れ込むという豪華仕様です。
渤海国の使節たちは,どういう気持ちでこのトイレを使っていたのでしょうか。
リアル版「テルマエ・ロマエ」の世界が,奈良時代の秋田の地で繰り広げられていたのかもしれません。
秋田城自体は10世紀の中頃から後半頃までの歴史がありますが,水洗トイレが使われていたのは8世紀の終わりから9世紀のはじめ頃までだったようです。
ちなみに,トイレのことを厠(かわや)と言いますが,その語源も実は「水洗トイレ」です。
しかも,こちらの水洗トイレは何と「全自動」で,その歴史は奈良時代よりも遥かに古いんですね。
まず,川の流れに板を渡し,次に,その上でイタします。
すると,自動的に川がすべてを水に流してくれるというわけです。
これを,「川屋」(かわや)と呼んだそうです。
以上,人間のクサいお話でした。
だから何だと言わず,どうぞ水に流してくださいませ。
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Rolande Croft (木曜日, 02 2月 2017 02:17)
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